2013年9月15日 エペソ人への手紙 -大きな愛-

しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――
エペソ2:4,5


 「罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、」これが聖書の言う救いです。この救いは明確で、寿命を延ばすものでも、元気づける精神論でもありません。この救いは「キリストにおいて、ともによみがえらせ」という死者の中からの復活と、復活しただけではなく「ともに天の所にすわらせてくださいました」と、キリストと同じ「すべての支配、権威、権力、主権の上に」(2:21)私たちも勝利させてくださる救いです。

 この素晴らしい救いが与えられたのは、神の大きな愛のゆえです。神が人を造られた最大の理由は、人を愛しておられるからです。人が神に従う理由は、人が神を愛しているからです。神から人が分離することが罪であると申し上げましたが、このような愛の関係から離れることがいかに罪であるかを知らなければなりません。最初の人アダムとエバが罪を犯したとき、神は「…あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか」(創3:11)と問いかけられました。人に「はい。私が食べました。ごめんなさい。」と神との愛の関係を修復する一言(悔い改めること)を導く愛をもって声をかけられたのです。しかし人は、「あなたがわたしのそばに置かれたこの女が…」(創3:12)と、故意に愛を引き千切る一言を言ったのです。申し上げたいことは、このような人間に対して神は救う義務など一つもないということです。さらに聖書が主張していることは、それでも神は私たちに人間を救わずにはおられないということです。なぜなら、神は愛だからです。聖書の約束している救い、そのよみがえり、これを理解するのも、信じるのも、神の大きな愛なくしてできません。それと、愛は理解するよりも信じる領域です。