2013年9月29日 エペソ人への手紙 -キリストにある本当の和解-

キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です
エペソ2:14,15b


講解説教No.15
エペソ2章11―16節

 人が存在しているところには、対立や敵意、憎しみも存在しています。立場の違い、教養の違い、才能の違い、富の違い、ことばの違い、人種の違いなど、互いに違うがゆえにそれゆえに敵意を抱くようになってしまっています。このような悲しむべき原因は、互いに違いを持っているということではなく、互いの人間が罪を持っているところにあります。エペソの手紙で取り上げられているのはユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの違いです。長きに渡り互いに対立しています。この二つに隔たっているものを一つにし、隔ての壁を打ちこわしたのがイエスキリストです。一般的に対立している両者を和解させるために、調停者が取る行動は、互いに妥協案を提出し、両者の譲るべきところを飲み込ませて和解を図ります。キリストの場合は妥協案も出さないのですが、調停者であるキリストご自身が両者のために、非常な痛みと苦しみを負う形を取ります。それは対立の原因が両者違いや主張にあるのではなく、互いの罪にあるからです。ユダヤ人は律法を持っていても守らず、異邦人ははじめから律法に違反した生活をしていました。その彼らの罪をキリストが身代わりに背負い、十字架で苦しまれたのです。このことによって両者は自分の罪を自覚するようになります。だから、「ですから、思い出してください…」(11)とパウロは罪の自覚を促しています。死者の中から生かされて救われていることの喜びと感謝を、いよいよ生き生きと保つために、過去の惨めな罪の姿を忘れずに覚えていよ!と励ましているのです。キリストが十字架によって敵意を廃棄されたことによって、私たちはまず神と和解しました。神との和解があってはじめて人との和解が成立します。神と和解した者同士が本当の和解をすることができるのです。