2013年9月1日 エペソ人への手紙 ‐キリストが満ちている教会‐

教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。
エペソ1:20



 みなぎる神の全能の力は私たちの属している教会に働きます。主の主、王の王と呼ばれるキリストはいっさいの権威を持つだけではなく、そのいっさいをご自分の足元に従わせる、そういう力をお持ちです。神はそのキリストを教会に与えられました。キリストが教会のかしらで、教会がキリストのからだです。からだ全体を動かし、支配しているのがキリストです。

 私たち信仰者はからだの各器官(手や足)です。キリストがぶどうの木、信者が枝であるという教え(ヨハネ15章)に共通しています。重要なのは枝、各器官にたとえられている私たちではなく無限のいのちと力をお持ちのかしらなるキリストです。各器官である私たちはそれだけではなんの力もいのちもありません。からだ全体のしくみを考えると、各器官は、自分の力に頼るように任されていないことがわかります。自分はクリスチャンとしてまだまだ…教会の働きに貢献していないのでは?と考える人がいたら、その人は教会が何たるかをまず知らなくてはいけません。いのちと力のキリストにつながっていて初めて自分に意味があることを知ってください。キリストに力があるので自分にも力があり、キリストにいのちがあるから自分にもいのちがあるのです。

 また教会は、「いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです」これは、万物の完成者が満ちているところが教会という意味です。ほかにはない特別のキリストの臨在が教会にはあるのです。ですから、そのことのゆえに私たちは教会生活を大切にしなければなりません。信仰の成長のために、またその信仰の仲間がいるから教会を大切にするのでもありません。教会は特別にキリストが充満しており、神のご尽力が注がれているから大切にしなければならないのです。この動機が重要です。