2013年9月22日 エペソ人への手紙 ‐神の恵みを示す作品‐

それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。
エペソ2:7


講解説教No.14
エペソ2章7―10節

 神がすばらしい救いを私たちにくださったのは、ご自身のすぐれた恵みを明らかに示すためです。神の救いは喜びと平安をもたらす、私たちのための救いなのですが、救いが神の恵みを立証するものだとすると、救いは神のためにあります。「…わたしが事を行なうのは、あなたがたのためではなく…わたしの聖なる名のためである」(エゼキエル36:22)私たちは神のために救われているのです。

 「信じる」ことは自分の中から出て来たことですが、その信仰さえも神から賜っています。信じることができるのは神の恵みです。救いにおいて、神の恵みが強調されていますが、これは、神の救いを人間が誇ることのないためです。神の恵みなのに、自分で獲得したかのように横取りをして誇ってはなりません。それは救われた事実を認めようとしないことになります。そういう人は一時的な満足を得て喜ぶときがあるかもしれませんが、基本的に感謝のない生活を送ります。私たちは神の恵みを証明する神の作品です。

 救われた私の具体的な事柄が「良い行い」です(良い行い:隣人を愛する与える生活、キリストの教えを守る生活)。実際に良い行いをしているだろうか?と思われるかもしれません。罪を赦されていない人は決して良い行いをすることはできません。しかし、私たちは罪と死の中からキリストとともによみがえった新しく創造された者です。その人には神によって良い行いが用意されているのです。救いにおいて、信じることさえ、また神の作品においても、主体はすべて神にあります。自分を主体に救いを考えたり、神を考えたり、信仰の歩みを考えるなら、良い行いは出来ないでしょう。そもそも受けるに値しない者です。だからこそ、神の恵みを良い行いをすることによって証明して行きましょう。