2013年10月13日 エペソ人への手紙 -神の御住まいとしての教会-

この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、
このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
エペソ2:21、22


講解説教No.17
エペソ2章20―22節

 パウロは「聖徒たちと同じ国民」「神の家族」(2:19)という言葉を使い、教会というものがどういうものかを表現しました。さらにパウロは教会を建物にたとえて教えます。第一に、教会は受身として建て上げられていくものです。イエスも「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」(マタイ16:18)と言われました。教会は私たちが建てるのではありません。キリストがキリストのものとして建てるのです。

 (第二)ではキリストはどのように建てるのでしょうか?建てるときに重要な躯体の部分、特に土台(基礎)にこだわりがあります。「キリストイエスご自身がその礎石」ですと仰るとおりで、キリストが土台です。「使徒と預言者という土台」とありますが、彼らはキリストの死と復活という中心メッセージを持っています。つまりキリストの死と復活を内容とする教えが土台であって、真の礎石としての土台はキリストである!ということを強調しています。

 第三に神の御住まいとして、ともに建てられる人たちは、教会に加えられる前から用意されていました。神殿に使用する石はすべて切り石場で仕上げられ、神殿に運ばれたときには削ったり、切ったりせず、運ばれてきたものがピタリと組み合わせられて行ったのです(Ⅰ列王記6:7)。そのように、教会の一員とするために、すでに神は私たちに働いてくださり、魂の深みにおいて、つくり変えのみわざをなしておられたのです。このようにして御霊によって生まれ変わり、神によって用意された者として、神の教会を築き上げていく一員にされたのです。石の大きさはみな違います。その一つ一つを神は生ける宮を建てるために選び出してくださいました。そのすべてがしっかり組み合わせられるのですから、一つでも欠けたら教会はバランスを崩してしまいます。組み合わせられる教会はからだのそれぞれの部分がいのちを持った一体性によって、互いに助け合い、結び合うのです。ここに仕え合う教会ならではの体質を見ることができます。教会は人のものではなく、聖なる神の御住まいです。それを知らず人間的に安易に考えていた人がいたなら、今改め、信仰の一致と、教会の様々な生活での一致を求めましょう。これまで以上に、教会における責任を主にあって強く感じ、また自分自身が組み合わせられている尊い存在の一つであることを覚えて喜びましょう。