2013年10月20日 恐れるな、語り続けよ 

ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。
使徒18:9・10


使徒の働き18章1―11節

 教会は多岐に渡って行なうべきことがあります。会堂清掃、事務的な奉仕、各部会での活動、会堂を建てること、それぞれに従事すべきですが、教会が最大限に従事すべきことは、イエスがキリストであることを宣言し明らかにすることです。この真理の大原則を行なっていることで、様々な奉仕が始めて意味を持ちます。「…どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられること」(ピリピ1:20)とパウロが語るとおりです。

 「どんな場合」というとき、直接宣教と結びつかないような、教会の働き(事務や営繕的なものなど)をしている場合にも、キリストがあがめられることを達成しなければなりません。それらの奉仕に従事したとして、それを達成することや問題が生じないように上手くやることが最終目標ではないのです。あくまでキリストが語られ、あがめられることです。

 イエスがキリストであることをはっきり宣言すると、サタンは黙ってはいられず、反対者が起こります。健全な教会にはサタンの働きはつきものです。パウロも恐れました。恐れた結果、語るべきことを中止させなければならない状況に追い込まれました。私たちも目の前に問題が立ちはばかると、キリストのことなど、どこかへ行ってしまうのではないでしょうか。主は恐れるなと励まされます。恐れる必要のない3つの根拠は、①主がともにおられること、②危害を加える者がいないこと、③遣わされたそこには主の民がたくさんいることです。主は、イエスがキリストであることを語り続けるために、そのように激励してくださるのです。教会を通してキリストがあがめられ、大胆に語られているかを常に確認しましょう。