2013年10月27日 弱さのうちにこそ 鹿毛愛喜師

しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
Ⅱコリント12:9


コリント人への第二の手紙12章7―10節

(10/23祈り会説教 「神のしるしを見失うな」出エジプト3:7-12)より

 「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ…」(3:12)エジプトからイスラエルを救うために、モーセに与えられた心強いしるしです。指導者として「今、行け…」(3:10)と神に命じられましたが、その責任を到底果たすことなどできないと恐れたモーセに与えられました。「行きます」と一度は従ったのですが…否定的なイメージが次から次へと波のように押し寄せて来ました。「…(エジプトに)何と答えたらよいのでしょうか」(3:12)、「ですが、彼らは私を信ぜず、また私の声に耳を傾けないでしょう」(4:1)、「ああ主よ。私はことばの人ではありません…」(4:10)ともにおられる神は、そのすべての心の煩いに対して、対処法と備えを保証してくださいましたが、ついにモーセは「ああ主よ。どうかほかの人を遣わしてください」と(4:13)。40年前、モーセは情熱と使命感で同胞を助けるためにエジプト人を打ちました(2:11,12)この行動のエネルギーは、パロの娘の子という力と立場を後ろ盾にしたもので信仰によるものではありません。40年後の今、彼はエジプトから亡命した者としてミデヤンの地で、名も力もない羊飼いとして生活しました。ですから、神に声をかけられたときに、「私は何者なのでしょう」と恐れ惑ったのです。いずれにしても、彼の“できる・できない”の基準は自分にあります。そうではなくて、「できない!」と知った今、「あなたとともにいる」という神のしるしだけを頼るべきなのです。神は強い指導者を選ばれません(Ⅰコリント1:27,28)。心底神を頼り、神にだけ従う者を用います。モーセは40歳のとき、イスラエルを救う指導者としての導きを確信しました。その後、40年間の羊飼いとしての生活を神から与えられました。これは、彼が自分の弱さを知るためであり、神のだけ頼ることを学ぶためだったのではないでしょうか。