2013年12月29日 エペソ人への手紙 -キリストのからだを建て上げる-

こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
エペソ4:11、12


講解説教No.22
エペソ4章11―13節

 御霊の一致を保つように勧められている教会は、キリストによってひとりひとりに賜物が与えられていることが教えられました。その教会が目ざすべき到達点は「キリストのからだを建て上げる」ことです。キリストの身たけに達すると言い換えていますが、要するに教会はキリストに似ていくのです。家を建てるのに様々な材料(柱、壁、窓、水道、電気…)が必要なように、キリストのからだを建て上げて行くにも、キリストが分け与えてくださった各賜物が必要です。直接教会を建て上げていくのは聖徒たちひとりひとりであることがわかります。

 それぞれ違う多様な賜物が教会にあれば、一つにまとまっていくわけではありません。整えられる必要があります。これは聖徒が聖徒らしく成長するということではありません。いろいろな聖徒たちを組み合わせるという意味での「整える」です。個人個人が成長したら教会が建て上がるのではなく、聖徒たちが組み合わさり、奉仕の働きをすることで成長します。キリストのご指示に従う教会の仕組み、秩序がメンバーひとりひとりを生かしてくれるのです。与えられた賜物で行なう奉仕の働きとは、組み合わせていくことですから、根本的には人を相手にした人に仕える働きです(奉仕が直接人に対してするものではなくても)。その奉仕の責任を果たすことではなく、兄姉と組み合わさることが重要です。人格と人格の組み合わせなので、一番やりがいのある、一番愛を必要とするものです。他の組織体にはないものです。

 しっかりと組み合わせていくために、キリストが教会にお与えになった特別な賜物が、「使徒、預言者、伝道者、牧師また教師」と呼ばれる『みことばの奉仕者』です。かしらであられるキリストのご意志そのものである「みことば」によって、聖徒たちは整え育てられ、建て上げられていくのです。直接キリストのからだを建て上げる聖徒たちは必要不可欠で、その建て上げるために聖徒たちを整えるみことば奉仕者も必要不可欠です。「整える」は本来、外科医が骨折した手足をこていしたり、外れた関節を元のところにはめたりするときに使われた言葉です。壊れていれば繕い、信仰の欠けている所があれば補い、罪があれば処置をして悔い改めに導き、霊的健康を回復させるのです。教会の現状がわかりました。これからどうして行けばよいかわかりました。教会は主に導かれて行くべき正しい行程を行っています。感謝!