2013年12月8日 エペソ人への手紙 -その召しにふさわしく歩みなさい-

さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。
エペソ4:1


講解説教No.20
エペソ4章1―3節

 人は何を信じているかによって、その生活が決まってきます。この順序が重要です。3章までにおいて神の霊的祝福(救いの基本)や教会はキリストのからだであり、キリストに満ちているところなど、いわゆる信仰のベースが教えられていました。それに基づいて4章以降の「歩みなさい」(6回)と生活の変革が勧められているのです。「私たちはキリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか」(ヘブル6:1)召しにふさわしい歩みとは、神につり合う生活をするといったらわかりやすいです。

 具体的にどういう生活かというと、「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合う」のです。パウロは偉大な教会論を語りましたが、実際は好みや考えの違いがあること、失礼や無礼があること、気の利かないことが教会には多々あることを認めています。教会論は理想論ではなく主から与えられた到達すべき完成の姿です。

 現在教会は工事中です。完成に至るまでの工事方法は、まず自分が正されることです。相手を正すことではありません。まず自分が謙遜と柔和を尽くします。愛と忍耐をもって相手を赦します。もし神につり合う生活の変革を怠るなら、いつも対人関係を回避することに力を費やすか、ただ我慢をするような苦痛ばかりが残る教会生活になるでしょう。そこで聖書は、御霊の一致を保つように大事な指示を出しています。この一致は作り出しなさいとも、生み出しなさいとも命じられていません。保ちなさいと注意されているに過ぎません。すでに聖霊によって教会に与えられているものだからです。その一致を忘れないように、損なわないように、私たちは熱心に努力することが求められています。それはサタンの誘惑に陥らないように、イエスが必死に祈られた努力と同じです(ルカ22:44)。私たちは黙っていれば愛の反対側に転がってしまいます。そのような関わりを避け、低くさせられるなら威張りたいものです。だからはっきりと意識して生活が変えられていかなければなりません。それは訓練です。