2014年1月12日 エペソ人への手紙 -もはや、子どもではなくて-

ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
エペソ4:13


講解説教No.23
エペソ4章12―15節

 教会はキリストのからだを建て上げていきます。聖徒たちがキリストから与えられた賜物を用いて互いに組み合わせていくと、キリストのいのちが教会全体に生き生きと脈打つのです。そのために聖徒たちはみことばによって整えられていくことが求められます。自分本位に歩んでいた者が福音にふさわしい生活に変えられ、他の人に仕えるようになります。

 キリストの弟子はどこまで整えられていったら良いのでしょうか?キリストの身丈に達するまでです。罪の性質を持ったままでは達することが出来ないのが「信仰の一致」であり、「神の御子に関する知識の一致」です。再臨のときキリストとお会いして初めて明らかになる知識です。これが日々目ざして走るべき、弟子の生活目標です。弟子は、達することを求めても無意味とは考えず、むしろキリストのようになりたいという願いが強くなります。教会の中にも、外にも人の悪巧みや悪い策略による教えの風が常にふいています。この風を避けることは出来ませんから、対抗措置が必要です。あらゆる点で成長することです。真理だけに片寄らず、愛だけにも片寄らず、両者をバランスよく保つ成長が必要です。聖書は「(キリストのからだを建て上げる)ため、(キリストの…身たけにまで達する)ため、(かしらなるキリストに達することができる)ためであり、」と教会に最高の目標を与えてくださっています。これを見失わないこと、またその水準を下げなければ、教会に新しい聖徒たちを益々加えてくださるでしょう。「…私たちはキリストに似た者となることがわかっています…キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。弱い自分に幻滅するのではなく、弱い自分に望んでいる主の約束を信じましょう。そして願いましょう、あらゆる点で成長すること、かしらなるキリストに達することを。願ってもいないのにあきらめるのは早すぎます。願うことさえ出来れば、主は必ずあなたを変えてくださいます。