2014年1月26日 エペソ人への手紙 -キリストのからだを建て上げるために-

そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。
エペソ4:17


講解説教No.25
エペソ4章17~19節

 キリストの弟子の訓練として、聖書の取り組みがあります。「知っているつもり」を排除する訓練で、自分のイメージした正しさと聖書の正しさの激しいギャップを知り、聖書の事実に立つトレーニングを積むのです(ここまで前置き)。

 さて、エペソの本題に入ります。これまで教会成長について語られて来ましたが、急に流れが変わりました。「そこで私は…勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。」これはキリストのからだを建て上げる教会成長論から生活実践論に話題が切り替わったわけではありません。本来4章でパウロが教え始めたことは「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい」(1節)でした。そこから話は一気に教会成長論に突き進んで行ったのですが、実はキリストが要求している教会成長を実現させるために、クリスチャンの生活の変革が求められています。教会を建て上げることと、個々のクリスチャンの生活は密接な関係であって、決して切り離してはなりません。「教会は教会、個人の生活は個人の生活!」という認識でいたならば、ただちに修正しなければいけません。キリストのからだを建て上げるために、救われる以前の「むなしい心で」歩むなと命じています。その心の原因は知性の暗さであり、知識のない無知な心であると説明します。要するに自分の意志も感性も知識も含めて心全体が問題で、かたくなに神に反発しているのです。その人の生活行動は性的欲望に支配された状態です。支配されているとは言ってもその行動は自らの意志であり、自分で好色を選んだのです。

 今私たちはそのむなしい心をキリストによっていのちと喜びに満たしてくださいました。そうみなしてくださっているから、主はその召しにふさわしく歩めと命じ、むなしい心で歩むなと強く命じているのです。私たちはかつての歩みと全く違った歩みをしていきます!教会を建て上げていくことなしにあなたの成長はありません。イメージを切り替えて!