2014年1月5日 教会ヴィジョン -キリストの弟子-

そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
ヨハネ8:31


ヨハネ福音書8章31、32節

 昨年教会は一致することを心がけました。一致することが最終目的ではなく、キリストの福音を宣べ伝えるために一致するのです。今年はその流れから、キリストの弟子として歩むことをヴィジョンとして掲げました。だれが福音を宣べ伝えるのか?キリストの弟子が福音を宣べ伝えます。

 ではだれがキリストの弟子ですか?『私が弟子など、まだまだです』と思っておられるかもしれません。そうではなく、キリストを信じて救われた者すべてがキリストの弟子です。弟子となった結果、その応答としてバプテスマを受け、キリストのおしえを守っていくのです。キリストを信じ救われて間もない人も、信仰の経験を積み上げた人もいずれもキリストの弟子です。弟子としてそれぞれに程度があるのは明らかです。

 覚えるべきはキリストの弟子となるために聖書を学ぶのではありません。キリストの弟子だから学ぶのです。もう一つは、弟子として召された人は、おなじところにとどまりません。継続して成長していくのが弟子です。成熟していかなければなりません。弟子などまだまだ!学ばねばという考えを捨てましょう。弟子だから学んでください。「キリストのことばにとどまるなら、ほうんとうにキリストの弟子」です。単に望みを抱き、自分も聖書のとおりになれたら!と毎年願うだけでは、キリストのことばにとどまるとは到底言えません。望みを抱くだけではなく実際に従うのです。失敗をともなってもいいですから、従って行くという行動に進み出るのです。その堅固なとどまりがキリストの弟子としての唯一の証明となるでしょう。またキリストにとどまっていることは、その人の生活が現すでしょう。真理はその人を自由にするとあるように、キリストの弟子は、その罪責から、罪の重荷から、その支配から自由です。明らかに変わったその生活が弟子とならしめます。