2014年3月9日 エペソ人への手紙 -怒りの感情の対処-

怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
エペソ4:26


講解説教No.28
エペソ4章26,27節

 「怒っても、罪を犯してはなりません…」(詩篇4:4の引用)怒ることと罪を犯すこととが別の扱いのようにも見受けられます。その後に「日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません」と。結局聖書は、怒ったまま、いつまでもその状態を続けることを戒めています。どんなに心が強い人でも感情の部分というのは不安定なものです。たとえ正統な怒りであったとしても、その感情が続いてしまうことで、どんな方向に向かって行ってしまうかわからないのが私たちではないでしょうか?怒りの感情を続けていると、怒りが「憤り」へと成長してしまうことも確認できます。

 憤りは突発的な爆発する怒りのことで、益々不安定に陥ります。そういうことから、ここで学ぶべきことは、罪を犯すことがないように、できる限りの速さで怒りの感情を処理するということです。その結論が次の「悪魔に機会を与えない」ことになります。悪魔は罪を犯させるために、怒りの時間を長くさせてきます。どうしたら悪魔に機会を与えず、罪を犯さないでいられるでしょうか?詩篇4:4にヒントがあります。「…罪を犯すな。床の上で自分の心に語り(考えよ)、静まれ。」要するに祈れと教えているのです。怒りや抑えられない感情、自分でどうすることもできないときに、祈りもままならないと思いがちです。しかし私たちはキリストをしっかり着こなす作業ができるのです。きれいごとでは祈れません。怒りの感情を他人や自分に向けるのではなくて、神に向けるのです。ダビデもそうしました。「夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる」(詩篇55:17)神がその表現しがたい心の思いを聞いてくださるということは、聞いてくださったと私自身が受け取った瞬間に癒されるでしょう。自分では不可能だったその感情の高ぶりを神は静めてくださいます。