2014年5月11日 エペソ人への手紙 -御霊に満たされなさい-

「また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。」
エペソ5:18


講解説教No.36
エペソ5章18節

 キリストのからだを建て上げた私たちは、光の子どもとして、この世の宣教に出て行きます。その生活の仕方として、賢い人のように良く注意して歩むこと、時を生かすこと、主のみこころを生活の中で試行錯誤しながら見分けることというように積極的に行ないます。

 一方聖書は「賢くない人のようにではなく(15)、愚かにならないで(17)」と、注意も促します。その具体例として、特に「酒に酔ってはいけません」と教えます。クリスチャン生活の中でのお酒の問題です。酔ってはいけない理由は「そこには放蕩があるからです」「放蕩」は見捨てられた、乱行、堕落などと訳される言葉です。酔うところに良いことは何もありません。重要なことは、酒に酔うことで、暗がりにいるこの世の人たちを明るみに出すことができなくなる、宣教の妨げになる、或いは酔うことで主のみこころを見分けることができなくなります。もっと重要なことは、酒に酔ってはならない、むしろ、御霊に満たされなさい!と命じていることです。私たちの宣教は暗やみのわざを行う人たちへの宣教です。聖霊を無視して人間的な力でそれを行なうなら、ストレスがたまるでしょう。そして発散させるべきことをしないではいられなくなるでしょう。しかし、おことばどおり、御霊に満たされるなら、ストレスは軽減され、賛美と感謝を口にするのです。

 現実問題に対して、御霊に満たされなさいという主の命令を「現実的な解決ではない」とするなら、その人は主の教えを知らないばかりか、教えに逆らっていることになります。酔うことは傾倒することで夢中になることです。別の言い方をすれば、愛することです。キリストもそれも同時に愛することは出来ません。どちらを愛し、どちらに従いたいか、はっきりさせなければなりません。主は生ぬるいものを口から吐き出すお方ですから。