2014年7月13日 エペソ人への手紙 -強められなさい-

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
エペソ6:10


講解説教No.43
エペソ6章10-12節

 これまでの教えとは一変して、神の武具を身に着けよ、と戦いの武装を命じています。「“私たち”の格闘は」と、聖書はクリスチャン生活というものが戦いであることを教えています。確かに喜びや平安を実らすことを教えていますが、聖書全体から聖書の事実を汲み取らなければなりません。そうすると、平安の道と戦いの道とを選ぶということではなく、クリスチャンであるということが、すでに霊的な戦いの中にいるということになるのです。

 そのことは戦う相手が誰なのかということではっきりわかります。この戦いを「格闘(レスリング競技をあらわす)」と表現しているのは、中途半端ではなく一騎打ちの取っ組み合いであることを教えています。この戦いを覚悟していなければなりません。恐れず希望を持って下さい。主は私たちに勝利だけを与えられています。「いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように」(13節)とは完全勝利の悠然と立っている様を言っています。だからこそ、主に従って完全武装するのです。では、格闘相手はだれでしょう?悪魔とその軍勢です。これはイエスとその軍勢(クリスチャン)対悪魔とその軍勢の戦いです。悪魔はキリストのみわざを妨げ、キリストの兵士(弟子)を負かして、戦いから脱落させようとしています。この世の人たちとの関わりの問題や迫害的な問題であれば、信仰によって大いに忍耐することが可能でしょう。しかし、それが兄弟姉妹との問題や親密な家族との問題となると難しくなります。そこに心を奪われ、イエスご自身のことを思うことができず、宣教に対する思いも低下してしまうでしょう。そうやって悪魔はクリスチャンを悩ませ脱落させようとするのです。そのような霊的な戦い、悪魔との格闘があるので、「主にあって、その大能の力によって強められなさい」と命じられるのです。

 一時的な強化ではありません。いつもくり返して強められ続けることが命じられています。なぜなら、私たち自身は弱いからです。いつも油断することなく、頑張ってクリスチャン生活をしていればなれる強さではありません。上から注ぎ込まれる強さ、強められる強さなのです。
大能、それは『神の全能の力』であり、圧倒的勝利を手にする強さです。