2014年10月26日 ルカの福音書 -人として仕える神-

するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
ルカ2:49


講解説教No.10
ルカ2章40-52節

 情景を思い浮かべることが容易に出来るほど、ルカは十二歳になられた少年イエスを描いています。ユニークさを感じながらも言いたいことは、イエスが神の御子であられることです(49節)。一方でイエスが「(身体的に)成長し、(霊的に)強くなり」(40節)と霊肉ともに、成長が必要な人であられることが強調されています。天の神の座におられるべき方がナザレの町に住まわれました。天地万物の創造者であられるイエスが(コロサイ1:15-17)、人として仕えられました。この少年イエスから第一に教えられることは、イエスは学ばれました。イエスが宮で教師たちの話を聞いたり質問しているのは学んでいるためです。「教えをはじめられたとき…およそ30歳」(3:23)とあるのは、それまで教える立場にいないで学んでおられたということでしょう。知恵に満ち、知恵に進まれたのは学ばれたためです。この知恵は聖書の適用部分で「経験によって…見分ける感覚を訓練」するみことば実践作業のことです。霊的に鈍い私たちにとって最もやりがいのある部分です。しかしイエスは霊的部分の成長に全く欠けることがありませんでした。神の恵みがイエスの上にあったからです。私たちこそ聖書に学ぶべきです。学ぶには段階があります。①みことばそのものを学ぶこと、②学んだみことばを生活に適用させていくことです。イエスが宮に行かれたのは父の家で学ぶためだったのではないでしょうか。第二に教えられることは、イエスがご自分の立場をわきまえておられたことです。これは少年イエスの成長の要因の一つです。「わたしが必ず自分の父の家にいる」との確信は、ご自分が神の御子との自覚から来るものです。イエスは逆に母マリヤの発言に驚いています。マリヤ自身生まれるイエスが「聖なる者、神の子」(1:35)とはっきりと告げられていたのですが。この霊的鈍さはマリヤ自身が神の恵みに預かっている神の民であることを自覚していなかったからです。自覚が成長を進ませます。あなたは救われた者、神の民との自覚がおありですか?イエスのようにもっと学びましょう。