2015年2月15日 宣教大会2 -あらゆる国の人々を弟子とせよ(2)-

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
マタイ28:18


マタイ28章19-20節

 宣教はあらゆる国の人々をイエスの弟子とすることにあります。そのための手段として、イエスは「(人々のところへ)行きなさい」と命じます。一般的には「弟子にしてください」と頼み込んで弟子入りしますが、イエスの弟子になることは自ら申し出るのではなく、招かれて初めて弟子になることができます。レビがそうでした。「イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて…」(ルカ5:27)私たちには、弟子としての歩みを始めさせるべき出て行く所があります。それがいつもの学校であり、職場であり、家庭であり。これまで万物の支配者であられるイエスの権威で出て行くとの認識が自分になかったのであれば、しっかり自覚して出て行きましょう。そうすればそこに弟子とする人たちが必ずいます。次に、救われて弟子となった結果、応じさせていくのがバプテスマです。キリストが私たちの罪のために十字架で死なれたこと、私たち自身も自分の罪に死んだこと、次にキリストとともに葬られたこと、次にキリストが死者の中からよみがえられたこと、私たちもキリストのいのちにあってまったく新しい歩みをすること、これを象徴的にあらわしているのがバプテスマです。弟子となった者が応じるもう一つは、イエスが命じられたすべてのことを守り行なわせることです。教えます!知的に学ぶのではなく、実践するために服従する者として教えます。この宣教の使命を果たさなければならないので、その人には特別な恵みを必要とします。「(イエスが)あなたがたとともにいます」という恵みです。イエスがともにいてくださることで初めて使命を果たすことができます。人の力や方策で宣教を進めることはできません。イエスご自身の働きによって。イエスが天に上げられたあとのみことばの言及。「そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた」(マルコ16:20)