2015年3月15日 ルカの福音書 -イエスの心を継ぐ者-

このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。
ルカ6:12-13


講解説教No.23
ルカ6章12-16節

 イエスが夜を徹して祈らずにはいられなかった理由は文脈を見るとわかります。これまでイエスはツァラアトをいやし、取税人とかかわり、安息日にいのちを救ったりと…ユダヤ人たちから見れば律法違反ばかり。イエスに対する不信感が少しずつ増していき、最終的に殺意を抱くほどに達しました。これをきっかけに祈りへと導かれたイエスは、父のみこころを具体的にどのように果たしていくかを熱心に祈られました。祈られた結果、弟子たちを選び「使徒」に任命されました。復活のイエスの目撃者で、イエスを証しするために、イエスに直接派遣された人たちのことを使徒と言います。父のみこころを実践していく手段として後継者を選び、教え、育てていかれます。「みこころ」は一つであり、キリストによって世を救おうとされる神の救いのみわざを完成させることです。「イエスを証ししていくべき、違うのか?」と明らかなみこころを求めるのは不自然であり、不要です。「主を証しするために、具体的にどうしたらいいか?」と祈るべきです。使徒に選ばれた人たちは家筋、職業、人格、能力など特筆すべきものは一つもありません。彼らの多くはその後の生涯も知られていません。選ばれた人たちが重要ではないということです。そうではなくて彼らが伝えるものが重要です。イエスの心を継ぐ人が重要なのではなく、継ぐ内容が重要です。福音を宣教する人が重要なのではなく、宣教するメッセージが重要なのです。選ばれた理由が私たち自身にないことは明らかです。ただイエスキリストご自身の中にだけ選びの理由があります。私たちにとってそれは大きすぎる恵みです。神のみこころを具体的に行なうために、ひとりひとり持ち場があります。今、それぞれが遣わされている場所、立場がそれです。すでに遣わされています。ですから、熱心に救いのみわざを完成させるためのみこころを祈りましょう。みこころからはずれた自分本位な祈りはもうやめて、イエスの心をしっかりと継ぐ者となりましょう。