2015年5月3日 ルカの福音書 -主の権威を認める者の幸い-

…ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。
ルカ7:11


講解説教No.28
ルカ7章1-10節

 限られた者しか就くことの出来ない、ローマ軍の歩兵百人の指揮官が百人隊長です。彼は部下をも重んじる人望の厚い人で、人々から信頼されていました。人生の成功者であり、周囲の人たちにとっても重要な人物でした。ところが彼は逆に、自分は重要ではないこと、価値のない人間であることを言いました。それだから彼はイエスの前に出る資格がないとして他の人に頼んでイエスのところに行ってもらいました。「わざわざおいでくださいませんように」との謙遜さも本物で、イエスの前に無価値と認めていました。その低い位置から最も高い方を見ていました。キリストのうちに権威と力を認めていました。イエスの一言で病がいやされるほどの権威と力です。「ただ、おことばをいただかせてください」そのことばは、この世界の一番初めに「光があれ」とのことばによって光が造られたことばです。「水には生き物が群がれ…」と発するだけで、すべての水の中の生き物が生じることばです。神のことばに権威があるから成り立つ話です。百人隊長はイエスのことばに神としての権威があると信じていました。ローマ皇帝の一言で世界を動かす、その権威を知っていた彼は、比にならない神の権威を認めたからこそ、必ずいやされると確信できたのです。この出来事は、6章にあった岩の上に土台を据えて家を建てた人のたとえの実例です。主の権威を認めるがゆえに、主のもとに来て救われ、次に主のおしえを聞き、主のおしえのとおりを行います。主イエスを自分なりにイメージしたり認めるのをやめ、自分なりの理解も避け、聖書に示されている事実のとおりを認めなければなりません。自分なりに主を認めることは、自分を高い位置に置きたがることです。そうすると、絶対的権威あるお方を正しく見ることができません。主の権威を認めましょう。主はただちにその信仰にこたえてくださいます。「…帰ってみると、しもべはよくなっていた」主の権威に基づく守りと祝福を生活の中で経験しましょう。

2015年5月3日 週報より報告

【部会、委員会】
☆5月2日(土)午前、運営委員会が行われました。
☆5月2日(土)午後、青年会が行われました。新しく青年会に加わった兄姉の歓迎会と青年キャンプのための作業が行われました。

【聖書講演会】
☆6月6日(土)、7日(日)聖書講演会を行います。今回のテーマは「守れますか?あなたの大切な人」です。私たちの身の周りで様々な困難、災害、事件事故が頻繁に起こり、大切な人を失ったり、傷ついたりします。何事もないかのような日常の中でも、大切な人の心を失わせてしまうこともあるでしょう。絆や友情を約束しても人には限界があります。そのような希望を抱く力を失いつつある人たちに真に人を守るものを紹介します。「主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方はまどろむこともない」(詩篇121:3)
講師は平塚聖書バプテスト教会の三谷浩司先生です。聖霊の働きを祈り、伝道していきましょう。

【本日の予定】
☆14時から午後礼拝を行います。
☆清掃後、聖歌隊の練習を行います。

【予定】
☆明日から6日(水)まで、富士箱根ランドにて青年フェローシップキャンプが行われます。教会車で行く参加者は、8時50分教会集合です(現地受付開始14時)。参加費19,000円を当日お釣りがないようにご用意ください。
☆5月7日(木)10時30分からドルカス会を行います。
☆5月9日(土)奥多摩霊園で墓前礼拝を行います。12時20分に教会集合、12時30分に出発します。
☆5月10日(日)13時30分から聖餐式及び教会会議を行います。

2015年4月26日 ルカの福音書-主のことばを行う者-

わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行なう人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。
ルカ6:47


講解説教No.27
ルカ6章46-49節

 私たちの人生が確かなものとなるか、失われたものとなるかを教える大切な結論部分です。イエスを救い主として信じて救われた人は、イエスを「主」とします。私たちの人生に対して絶対的な権威を持つお方とするということです。なぜ主なのか?それは私たち滅ぶべき存在のために、ご自分のいのちという代価を払って、罪の中から買い取ってくださったからです。このような恵みの立場に置かれながら、「主よ」と呼んでおいて、イエスの言うことを行わないのはどういう矛盾か?とイエスは問題提起をしています(46)。口先だけイエスの権威を認めているに過ぎない人のことです。私たちもこのように礼拝をささげつつも、主の教えを行っていないのなら、口先だけです。この人は土台なしで家を建てた人にたとえられます。イエスのもとに来て罪からの救いをいただき、イエスの教えを聞きはします。しかし、それを行おうとはしません。教えを自分なりの教訓としては受け止めますが、それを自分の人生に役立てようとします。自分が良いとおもう土台を据え、その上に自分の人生という建物を築こうとします。土台の素材はその時々の世の原則です。世は移り行くものですから、土台も移り行くような安定のないものです。イエスのもとに来て、イエスの教えを聞き、それを行う人は、イエスの教えという確たる原則の上に、自分の人生とい建物を築きます。この人は自分が貧しい者であることを認め、自分の罪も弱さも受け入れる人です。時にプライドがそれを許さず葛藤するときもあるでしょう。しかし、主の救いなしには存在し得ないことに気づき、むしろ主への感謝が増します。この人はイエスのおしえを行い、他の人を愛することをします。これは「自分に不可能」ということを知らされることなので落胆するときでもあります。しかしその時こそ、イエスの十字架の愛がその人に溢れるほど分かるときです。世の中の人は、そのような人を愚かと言い、お人よしで損ばかりする人と評価するでしょう。しかし主権者であられるイエスは、この人を賢い人と呼ぶのです。


2015年4月26日 週報より報告

【教会車】
☆4月23日(木)教会車イプサムの定期点検(トヨタ昭島店)が行われました。走行距離5万5千キロ強、至って順調です。

【教会墓地清掃】
☆4月25日(土)兄弟会を中心に奥多摩霊園の教会墓地の清掃が行われ、6名が参加しました。墓地購入から10年、当初の桜の苗木も木陰を作るほどに大きくなっています。

【神学校】
☆神学校は先週月曜日から北陸の金沢聖書バプテスト教会で伝道実習です。本日まで行われます。神学生の実習訓練のためにお祈りください。

【本日の予定】
☆14時から午後礼拝を行います。
☆清掃後、聖歌隊の練習を行います。

【予定】
☆5月2日(土)13時から青年会の新入生歓迎会と青年キャンプ用のポスター作りを行います。
☆5月4日(月)~6(水)富士箱根ランドにて青年フェローシップキャンプが行われます。テーマ:「一歩」(私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。ピリピ4:13) 説教者の長江忠司師のためにお祈りを、参加者の祝福をお祈りください。
☆5月10日(日)13時30分から聖餐式及び教会会議を行います。

【伝道】
☆6月6日(土)、7日(日)に予定している初夏の聖書講演会に向けて準備中です。今年のヴィジョンに従い、これを機会に伝道していきましょう。まず、友にために、家族のために祈り、ご聖霊の働きを求めましょう。

2015年4月19日 ルカの福音書-十分訓練を受けた者は-

あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。
ルカ6:41


講解説教No.26
ルカ6章39-45節

 このたとえは、「イエスの弟子たちが他の人たちに教えていく」ことを前提とした教えです。他の人に教える前に、自分自身をしっかり吟味する必要があります。自分が知らないことを教えることは出来ないし、また自分が成長している段階までは他の人を導くことは出来ますが、それ以上は出来ません。だから、弟子は十分に訓練を受ける必要があります。その訓練は、自分の目の中の梁を取り除くという訓練です。目の中の梁を取り除くならば、適切に教えることができます。たとえのポイントは、気づかないはずもない大きな梁!です。とても大切なことに気づかないということです。6章におけるイエスの教えを整理してみると、「貧しい者は幸い(20)、敵を愛せよ(27)、さばくな(37)、赦せ(37)、与えよ(38)」要するに、イエスの愛をもって愛しなさいということであり、それを教えるわけです。これはイエスに愛された者だけが実行可能です。しかし、盲人に盲人の手引き…とあるように、教える側が、イエスに愛され、赦された罪人であるという立場を忘れてしまっているなら教えることはできないのです。これが目の中の梁の正体です。救いようのない罪人を、ただ主が愛されたので、聖なる民とされた驚くべき恵みの立場を忘れた状態で教えるなら、目には梁があるのです。梁を取り除くためには、本気でイエスの教えに従うことです。敵を愛しなさいという教えにまず自分が真摯に取り組み、自らの力では愛することが出来ない無力さと挫折を味わいます。その時にこそ、梁があるこんな罪人の私を主が愛してくださっていることを挫折以上に味わうのです。十字架の赦しこそ私のためと知るなら感謝が溢れるでしょう。そうしたら御霊が人知を超えた力で敵を愛するようにしてくださり、そうして、梁なしで教えることができるようにしてくださいます。

2015年4月19日 週報より報告

【先聖日の恵み】
☆4月12日(日)礼拝説教は、安藤修司師によって取り次がれました。みことばの恵みが豊かに与えられました。安藤師からお礼状が届いています。また、イースター子ども会でみことばを語ってくださった栢下基従師からもお礼状が届いています。

【牧師就任式】
☆4月12日(日)牧師は名古屋サウスサイドバイブルバプテスト教会の牧師就任式に説教者として出席しました。主イエスが御教会に新しい牧師をお与えになったことを確信する式となり、御名を崇めました。祝福の按手が授けられた後、昼食時には藤野名誉牧師の退任式が行われました。長年の教会の歩みを画像で振り返りました。牧師就任報告とお礼状が届いています。

【調布BT宣教大会参加】
☆4月16日(木)ドルカス会から、18日(土)青年会から、それぞれ調布バプテストテンプルで行われた宣教大会に出席しました。斎藤雄典師(沖縄教会)を通して、力強い主にある宣教スピリットを頂きました。

【本日の予定】
☆14時から午後礼拝を行います。
☆清掃後、聖歌隊の練習を行います。

【予定】
☆4月25日(土)教会墓地の清掃を行います。出発時間等の詳細は後ほどお伝えします。
☆5月4日(月)~6日(水)箱根にて青年フェローシップキャンプが行われます。立川教会から8名参加します。牧師は分科会奉仕担当です(テーマ:デボーションについて)。
☆5月9日(土)13時30分から奥多摩霊園にて墓前礼拝を行います。

【神学校】
☆4月20日(月)-27日(月)神学校の伝道実習が金沢聖書バプテスト教会で行われます。実習テーマが「目を開いて見る」(詩篇119:18)小宮山姉が参加します。祝福をお祈りください。

2015年4月12日 もっと祈ってください

また、もっと祈ってくださるよう特にお願いします。それだけ、私があなたがたのところに早く帰れるようになるからです。
ヘブル13:19


ヘブル人への手紙13章18-19節

(4月8日祈り会説教より 申命記9章)

9章で伝えているモーセのメッセージは、自らの正しさに対して誇る危険性を警告しています。カナンの地について、8章では「何一つ足りないもののない地」と語られたのが、9章では「だれがアナク人に立ち向かうことができようか」(2)と厳しい困難に直面する地として語られています。自分の力で戦い切ることのできない相手と直面することが伝えられたのですが、同時に、主が先頭に立って戦われることが語られました(3)。主がカナンの地の人々を追い出されるのですが、そのとき心の中で「私が正しいから、主がこの地を得させてくださった」と言ってはならないことが警告されました。彼らが約束の地を得られたのは、これらの国々が悪いため(の神のさばき)と、アブラハム、イサク、ヤコブになさった誓いを果たすためです(主の契約)。民自身の正しさ、心のまっすぐさなど無関係です。事実彼らの心は正しくもまっすぐでもありません。むしろ彼らは「エジプトの地を出た日から、この所に来るまで…主に逆らいどおし」の罪人です。モーセのとりなしがなかったら、神に消し去られていたのです(9:14)。そんな彼らに約束の地が与えられるのは主の恵みとあわれみです。神が民を選び、神が道を開き、乳と蜜の流れる豊かさを与え、神が敵を征服し、民を赦し…恵みとしか言いようがありません。ここに徹底的な恵みの福音を見ることができます。パウロも「神の恵みによって、私は今の私になりました」(Ⅰコリント15:10)と言い、「最も小さい者…神の教会を迫害した…」と罪を痛いほど認めていました。罪赦された罪人となった自らの姿を知っている人は、主の恵みによってのみ生かされていることを知っています。

2015年4月12日 週報より報告

【来会】
☆4月5日(日)初来会された方がいらっしゃいました。

【復活記念礼拝の祝福】
☆4月5日(日)復活記念礼拝が行われました。使徒2章22~36節から「キリストはよみがえられた」と題してみことばが語られました。午後礼拝ではⅠテサロニケ4章13~18節から、キリストの復活に基づくクリスチャン自身のよみがえりの信仰を確認しました。

【イースター子ども会の祝福】
☆4月11日(土)日曜学校のイースター子ども会が行われました。お誘いした子どもたちも集いました。栢下基従先生を通して復活のメッセージが語られました。救いのためにお祈りください。

【説教者】
☆本日の礼拝説教者、安藤修司先生をご紹介します。1950年福岡県生まれ。生物学を大学で学び、進化論の基礎研究のゼミで、故森山扶美子師(香椎BC)の導きで、求道。横浜のソフトウェアハウスに就職し、紹介された横浜BBCにおいて信仰告白、(1983年イースター礼拝)詩篇118:17で確信を頂く。救いと同時に献身、3ヶ月後にバプテスマ。その年の夏、伝道者の召しを頂く。1990年神学校を卒業後、湘南伝道所、横浜教会において伝道師として奉仕、2014年から船橋聖書バプテスト教会の副牧師に就任、現在に至る。ご家族は奥様の倫子先生、長女のゆりさん(高3)、次女きよらさん(中3)。趣味・特技は読書、ギター、パソコン(プログラミング)。

【牧師就任式】
☆本日牧師は名古屋サウスサイドバイブルバプテスト教会の礼拝及び牧師就任式に説教者として出席しています。牧師として就任する小山淳也師の祝福、退任される藤野千郷先生に主の豊かなねぎらいがあるようにお祈りください。

【祈り】
☆4月13日(月)教会員のお母様が無事手術を受けられました。入院期間中のリハビリのためにお祈りください。

【予定】
☆第二週のため午後礼拝はありません。
☆清掃後日曜学校教師会を行います。
☆4月16日(木)ドルカス会は調布教会の宣教婦人集会に参加予定です。同じく18日(土)青年会は調布教会の宣教青年集会に参加予定です。(詳しくは掲示板に)
☆5月4日(月)-6日(水)JBBF全国青年キャンプが箱根で行われます。テーマ「一歩」,講師「長江忠司師」立川から8名参加します。

2015年4月5日 復活記念礼拝-主はよみがえられた-

しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。
使徒2:24


使徒2章22-33節

 ペテロのメッセージの中心は「神はこのイエスをよみがえらせました」(24,32)と復活のメッセージです。「この方が死につながれていることなど、あり得ない」と、少し前までイエスを否認し、主のよみがえりも一度は疑ったペテロでしたが、実に挑戦的なことばを発しています。死に支配されることがないことを旧約聖書のことば(詩篇16:8-11)をもって説明しています。その中で「さらに私の肉体も望みの中に安らう」と語っていることばは、主イエス以外には誰もとり得なかった死に対する態度が示されています。死ぬべき肉体がよみがえりの望みに生きる!という意味です。人間の死への態度は「恐怖」のひとことに尽き、もう少し頑張っても「避けるべきもの」程度でしょう。イエスはよみがえられました。死はイエスを止めることができませんでした。イエスの復活は、イエスがまことの神の子であることを意味します。また復活は、イエスという罪のためのいけにえが神に支払われて、それが受入れられたことで、人の罪が完全に赦されることを意味します(ローマ4:25)。また復活は、私たちの救い主がいまなお生きて働いておられるということなので、私たちが窮地にあるとき助けることができることを意味しています。死に打ち勝たれた方が味方であるならどんなに心強いことでしょう。究極の助けは、私たち自身もよみがえるということです。イエスと同じいのちを頂いた者として、私たちも死に打ち勝つことができます(Ⅰコリント15:51,52)。この復活信仰に立つなら、どんな困難も耐えることができます。死者の中からよみがえられたイエスに信頼する者は、失望させられることがない、というのが聖書の約束です(ローマ10:11)。失望がなくなるわけではありません。かならず希望で終わるということです。

2015年4月5日 週報より報告

【来会】
☆3月29日(日)横溝久子さんが初来会されました。また杉山定公さんが久しぶりに来会されました。祝福をお祈りください。
【日曜学校の祝福】
☆3月29日(日)日曜学校の暗唱聖句大会および進級式が行われました。暗唱した聖書のことばが彼らの日常で思い起こされ、力となるように、また日曜学校の新クラスが開始です、生徒、教師の祝福をお祈りください。
【部会】
☆3月29日(日)午後兄弟会が行われました。4月4日(土)青年会が行われました。
【復活記念】
☆本日はイエスキリストのよみがえりを記念する復活祭です。礼拝は復活記念礼拝としてささげます。聖書のことばから主のよみがえりの意味を探り、復活信仰に立つ確かな歩みをしていきましょう。
【祈り】
☆山元弓子姉のお母様が怪我(大腿骨骨折)をされました。明日手術です。無事の手術と回復のために、また看病される弓子姉のためにお祈りください。
【本日の予定】
☆昼食後、伝道委員会を行います。(教会案内、聖書講演会について)
☆14時から午後礼拝を行います。
【イースター子ども会】
☆4月11日(土)14時から日曜学校のイースター子ども会が行われます。検見川聖書バプテスト教会の栢下基従師がメッセージされます。お誘いを(トラクトあります)。復活の主のめぐみに多くの子どもたちが預かることができるように。
☆4月4日(土)13時から青年会を行います。
【牧師就任式】
☆4月12日(日)名古屋サウスサイドバイブルバプテスト教会で牧師就任式が行われ、小山師が就任されます。井口師が説教者として奉仕します。祝福をお祈りください。12日(日)立川教会での礼拝説教は、船橋聖書バプテスト教会の安藤修司副牧師が奉仕されます。

2015年3月29日 ルカの福音書 -あなたの敵を愛しなさい-

しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。
ルカ6:27


講解説教No.25
ルカ6章27-36節

「あなたの敵を愛しなさい」これほどに高い水準の教えはないかもしれません。あまりに高いので受け取る側は理想論としておさめて、現実と切り離している人もいるのではないでしょうか?しかしイエスはこれを実際に行うことを求めておられます。「…ほかの頬をも向けなさい」(29節)とは、仕返しできる当然の権利があったとしても、その権利を使わず、侮辱されても報復しないこととして、愛することを教えています。「上着を奪い取る者には…」不当な裁判で賠償を求められた場合、律法で取ることがないと保証されている上着さえも与えるように勧めておられます。「求める者には与えなさい…」はお金に関することで、利己的な心や出し惜しみするような愛のない生き方に警告を発しておられます。「自分を愛した者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところが?」実に厳しいことが要求されています。これは要するに、イエスが敵を愛することを、口や理想としてではなく、実行することを求めておられるということです。改めてイエスは「ただ、自分の敵を愛しなさい」と、重要なのはそのあと、「・・・そうすれば…いと高き方の子どもになれます」と(35節)敵を愛することが救われる条件ではありません。そうであったらだれも神の子どもになれません。これは敵を愛した結果、神の子どもであることのしるしと見なされるということです。父なる神に似る神の子どもは、その性質も似ます。神の愛にも似るということです。努力して似るものではありません。努力で似ることは不可能です。そうであるからこそ、クリスチャンが与えられているご聖霊の働きによって人を愛するとき、神のこどもとしてのしるしがはっきりするのです。この教えはとりわけ、イエスの見つめる先の弟子たちに向けられました。報復こそ賞賛するこの世の人たちに、この教えを実践するためです。彼らは困惑するでしょう。私たちのうちに見るイエスの愛に立ち向かえる人など誰もいないからです。キリストの愛で彼らを支配することができますように。

2015年3月29日 週報より報告

【来会】
☆3月22日(日)初来会者が礼拝に出席されました。ようこそおいでくださいました。主の恵みとあわれみがありますように。

【ジュニアキャンプの祝福】
☆3月26日(木)~28日(土)富山県の立山でジュニアキャンプが行われました。快晴のもと立山連峰を見ることができる希少な気候も備えられ、雪山の大自然の中で行われました。「ONE MORE STEP」というテーマで、聖書から信仰のもう一歩!のチャレンジが石川実牧師によって語られました(3回)。信仰の友との交わりも楽しく、また励まされました。参加者も恵まれて戻ることができました。お祈りを感謝します。礼拝後に代表で報告をします。

【受難週】
☆今週は受難週です。受難週とは、キリストが王としてエルサレムに入場されてから(マタイ21:1-11)、キリストがよみがえる前日の土曜日までの1週間のことです。ルカの福音書の冒頭で「イエスは苦しみを受けた後」(使徒1:3)語られ、使徒たちのメッセージでも宣べ伝えられたように(使徒3:18)、主のおしえの重要な一つが受難週です。罪が赦されるための主の苦しみを、私たちも記念し、覚えながらこの週を過ごしましょう。

【本日の予定】
☆第5週のため午後礼拝はありません。
☆清掃後、聖歌隊の練習を行います。
☆兄弟会を行います。

【予定】
☆4月2日(木)10時30分からドルカス会を行います。
☆4月4日(土)13時から青年会を行います。

【復活祭のお知らせ】
☆4月5日(日)11時から復活記念礼拝を行います。聖歌隊の賛美がささげられ、復活信仰のメッセージが語られます。キリストの降誕記念と同様に重要な集いです。どなたでもお集まりください。
☆4月11日(土)14時から、日曜学校のイースター子ども会が行われます。検見川聖書バプテスト教会の栢下基従先生がおいでになります。

【JBBF機関紙】
☆JBBFの機関紙、「宣教クォータリー」と「神学校だより」が届いています。受付が各一部ずつ配ります。

2015年3月22日 ルカの福音書 -心の貧しい者は幸い-

イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。
ルカ6:20


講解説教No.24
ルカ6章17-26節

「貧しい者」とは、神の前に打ち砕かれた者として、この世的な精神のとりこにならず、それらにより頼まない人のことです。世の中の考えは、自分を実現させるために、自己信頼、自己確信、自己表現を押し進めます。職業に成功したければ自分が成功者であるかのような印象を与えることが大切になります。そのためには持てるものは持ちます。物質的な物だけではなく知識、教育、資格、名声も。これらの中にも生活の手段として必要ですが、支配されてしまっては話が違ってきます。貧しい者の生活をこの世の人々は賞賛しませんし、軽蔑さえします。世の賞賛か、主に喜ばれるかです。「いま飢えている者は幸い」とは自分の正しさを実現するのではなく、神の備えてくださった正しさ(義)を熱心に求める人のことです。自分本位な欲に従った生活ではなく、福音に生きる人です。「いま泣く者は幸い」とは、キリストのために泣く者のことです。悲しみそのものは祝福ではなく、失われた人の悲しみも祝福ではありません。その失われた人のために泣く者が幸いです。「人々があなたがたを憎むとき…幸い」とは迫害を受けた者が幸いであり、「人の子のために」という動機で苦しみを受けることが何よりも大切です。ただの忍耐では喜びが生じません。私たちがキリストを愛するがゆえに耐え忍ぶとしたら、喜ぶことができ、天においての報いは大です。これらの幸いな者に対して、「哀れな者」は幸いな者の裏返しです。この世のものにより頼み、神の義を求めず、福音を伝える自己犠牲的な生き方よりも、自分の欲に従う者のことです。「みなの人がほめるとき…哀れです」人々に賞賛されるような福音?!を語ります。弟子たちを見つめながら、教えられたイエスは、私たちが幸いな者となることを願っておられます。