2015年5月31日 ルカの福音書 -罪赦された者の姿-

そしてその女のほうを向いて、シモンに言われた。「この女を見ましたか。わたしがこの家にはいって来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この女は、涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれました。
ルカ7:44

講解説教No.32
ルカ7章36-50節

 イエスはパリサイ人シモンの家に招かれました。食卓に着かれたとき、ひとりの罪深い女が入って来て、イエスに最高の礼儀を示しました。ユダヤの律法では罪人と称される者とつき合ってはいけないことになっています。イエスがこの女のすることを受入れているのを見たシモンは心の中でイエスを批判しました。彼の心を見抜いたイエスは、二人の債務者が赦されたたとえを話されて、『罪に対する赦しを知ることによって、愛と感謝が生じる』ことを教えました。神に赦された結果、愛と感謝が生じるのです。シモン自身も「よけいに赦してもらったほうが金貸しを愛する」と正しい判断をしたにもかかわらず、自分にあてはめることをしませんでした。シモンは「あなたの罪は赦されています」と罪を赦す権威を持つ神の御子が目の前にいるのに気づくことができませんでした。これは女へのメッセージであると同時に、シモンへのメッセージでもあったのです。彼は自分を罪人と自覚しなかったのです。確かに彼は社会的な立場は保証されていましたが、彼のうちには愛も平安もありませんでした。そのため、人を人として扱うことをせず、人前では立派にふるまっても他者を批判していました。なぜでしょうか?罪を認めない彼は、神に赦されていなかったからです。一方、社会的立場がゼロに等しい女には愛と感謝が溢れていました。周囲から批判を浴びることを承知でイエスに会いにパリサイ人の家に行きました。しかし彼女は自分の罪と弱さを隠そうとはしませんでした。いや、隠す必要がなかったのです。すべてが赦されていたからです。シモンと罪深い女、あなたはどちらの立場でありたいですか?