2015年6月28日 マタイ28章18-20節 イエス・キリストの大命令

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
マタイ28:18-20

申命記20章から(6月24日祈り会説教)

 これは民の戦いについての規定が教えられています。いつでも何処でも戦うというものではなく、カナンの地の6つの原住民族(いわゆるカナン人)に限定された戦いです。イスラエルの民にとってカナンの地の目的は、旧約における神の国の支配の拡大です。神に背き続ける難敵との戦いも神の宣教戦略の一つです。教会時代の現在においても御国の拡大は継続しています。そこで、20章1-4節から戦いにおける心構えを学びます。敵の馬や戦車という武力は脅威だったでしょう。第一の心得は、戦いは非常に厳しいものであるということです。民の最初の偵察で「あの民のところに攻め上れない」(民数記13:31)とほとんどの人があきらめた敵の強さは事実です。戦い方さえ知りません。第二の心得は、戦いに主がともにおられることを覚えることです。(カナンの地を)占領することができると判断したヨシュアとカレブも「しかし主が私たちとともにおられるのだ。」と堅く信じていました。マタイ28:20を見ると、共にいてくださる約束は、宣教における約束です。霊的戦いに参加した者だけが味わうことができる約束です。ともにいてくださるだけではありません、第三の心得は、主が戦われるということです。「…敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、主である」(4)青年だったダビデもペリシテ軍を前に、「この戦いは主の戦いだ」と宣言されました。無力でも恐れる必要のない心得を学びました。もし、宣教の戦いを躊躇している人がいるなら、その戦略を一から練り直してください。学んだ心得をしっかり会得しましょう。