2015年7月26日 ルカの福音書 あなたの内を変えられる主

彼はイエスを見ると、叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうか私を苦しめないでください。」
ルカ8:28


講解説教No.38
ルカ8章26-39節

 自然界を支配された方は霊的世界も支配されます。イエスが悪霊につかれた男に「この人から出て行け」と命じられて、汚れた霊を追い出されました。「長い着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた」男の悲惨な生活を見てもわかるように、悪霊は人を肉体的にも人格的にも破壊しようとする存在です。「盗人が来るのは…滅ぼしたりするだけのためです」(ヨハネ10:10)とあるとおり。人は神のかたちに造られました。神は愛ですので、愛をもって人を造られたので、人は神及び人を信じ、愛するようになったのです。悪霊はこのような人を不能にしようと働くのです。それが人格を失って動物的な生活を強いられたこの男に見ることができるわけです。人格的なものを排除した生活をしている人は今でも大勢います。墓場にすまないにしても、悪の支配のもとに置かれています。そういう人を救いに来られたのがイエスです。「神の子イエスキリストが現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです」(Ⅰヨハネ3:8)人々が幸せになるためには、暮らしが良くなること、政治や教育といった知恵と力が必要でしょう。しかしそれらにどんなに力があったとしても、霊的な部分に働きかけをするものは一つもありません。見えないところにこそ、問題の根源があります。イエスはその見えない霊的世界においても絶対的な主権を持っておられます。悪霊はただ底知れぬ所に行かないようにイエスに願うのが精一杯で、出て行けと言われれば、出て行くほかないのです。人間の力で霊を制することは出来ません。しかしイエスは霊を制するだけではなく、この男の心の内から変えることのできるお方です。彼は破壊的な生活から、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを人々に知らせる世の光としての生活に変えられたのです。残念ながら、ゲラサの町の人たちは変えられたいと願わないばかりか、イエスに町から立ち去るように願ったのです。見えるところの利益ばかりに心奪われ、見えない霊的な部分に目を留めることができませんでした。人がイエスによって変えられたのを見ているのに、人間の本質的な部分には目を閉ざしています。それこそサタンの支配下にある現象ではないでしょうか。イエスは悪霊の支配から、私たちを変えてくださるお方です。