2015年9月20日 ルカの福音書 -十字架の道を歩むとは-

彼らに言われた。「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れる者です。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れる者です。あなたがたすべての中で一番小さい者が一番偉いのです。」
ルカ9:48


講解説教No.47
ルカ9章46-50節

「だれが一番偉いか?」弟子たちの心の中でいつも抱いていることであり、根底には利己心というものが根深くあります。自分が得することだけを考え、他人のことは考えません。互いに利益があれば表面上問題ないのでしょうが、どちらかが損失すると、関係が悪くなります。ですから主の教えではない所では、ある程度距離を置いて、深入りしないで…と。教会でそのような付き合い方をしていると、愛が希薄になり、逆に苦しくなってきます。兄姉にはお互いに、心の中を知っておられる主が共におられるからです。行くべき真理の道を逆走することは危険で痛みが伴うのです。利己的な心は、いろいろ姿を変えて表に出てきます。うそをつくこと、悪いことばを口からだすこと、これらは決して他の人のことを配慮しません。自分のことだけです。しかし私たちは偽りではなく真実を語り、悪いことばではなく人の徳を養う言葉を話すのです。イエスは「子ども」を通して十字架への道を教えられました。一人で何もできない、自分の言いたいことも表現できない…つまり自分の力で生きることの出来ないのが幼い子どもです。そのような存在をイエスの名のゆえに受け入れる者が一番偉い人だと教えられました。私たちは神の前に無力で、罪を犯すことしかできない存在です。そのような小さな者を十字架における罪の代償を払ってくださったゆえに、受入れてくださったのです。その主の名の上に、個人的な状況がどのようなものであれ、イエスがその人を愛されている事実の上に立って、小さい者を受入れていくのです。イエスは私たちの心の中の考えを全部知っておられる全知の神です。その方に知られていることは幸いです。もし隠し続けていたら罪の道に迷い続けます。しかし主に知られているなら十字架への道に案内してくださいます。