2015年10月11日 ルカの福音書 弟子の派遣

そして、彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。さあ、行きなさい…。
ルカ10:2、3


講解説教No.50
ルカ10章1-16節

 70人の弟子がイエスによって定められました。12弟子は北へ(ガリラヤ周辺)、70人は南へ(エルサレム方向)遣わされました。宣教の働きにおいて、イエスがまず命じられたことは、「祈りなさい」ということです。実りは多いのに働き手が少ないという現状を、おそらくガリラヤ伝道の中でお感じになられたのでしょう。人々を天の御国へ招き入れる収穫が多いとのことですが、天国に入る準備の出来ている人が大勢いるということです。悔い改めなったガリラヤの町を責められたにもかかわらず(12-16)、それでも救われるべき人々が大勢いるとは、私たちにとって励ましです。収穫の主に…働き手を送ってくださるように、とは収穫の働きの主導権が神にあることを示しています。その方にまず祈ることが重要です。もし祈ることをしなかったら、主権者を差し置いて自分たちだけで宣教の働きを行うことになります。ただちにサタンに負けるでしょう。祈りこそ宣教の働きを推し進めて行く原動力であることを知らなければなりません。次にイエスは「行きなさい」と命じました。主が責任を持って遣わしたのですが、それは狼の中に小羊を送り出すようなものと。敵に対して何もなす術なしという羊の特性を宣教者に見立てました。外的な迫害や偽教師などから来る内的な迫害が敵の攻撃です。宣教の厳しさを自覚させると共に、全面的に主を認め、主に頼り切ることを求めてられます。宣教者とはいえ無力だからです。幾つかの宣教の諸注意の中で、福音を拒んだ者に対する裁きの厳しさを語っておられます。神のみわざを見て、恵みを知った者が拒んだ場合、そのさばきは厳しいのです。福音を伝える者のこの仕事は実に重要です。救いかさばきからのどちらかを迫られる決断です。その知らせを黙って知らせないことは罪です。