2015年12月6日 ルカの福音書 御国が来ますように

そこでイエスは、彼らに言われた。
祈るときには、こう言いなさい。
『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。』
ルカ11:2


講解説教No.56
ルカ11章1-4節

「御名があがめられますように」と祈るということは、あがめられていないこの世の現状があるということです。「やみはこれに打ち勝たなかった(共同訳:暗やみは光を理解しなかった)」人間の罪ゆえに、サタンに支配された結果が光を理解しない状態です。人間の苦しみの根源はサタンの支配にあります。クリスチャンは御名があがめられることを願いますが、それと全く反対のものが厳然と存在することに気づくのです。私たちは霊的洞察力を持ってサタンの支配に気づいていなければなりません。それはクリスチャンの責任でもあります。その見抜く力は、御名があがめられることを祈るクリスチャンが神よりいただくのです。御国には二つの内容があります。一つは、キリストが早く再臨され、神の御国が完成されますようにということです。初代のクリスチャンたちは「マラナ・サ(主イエスよ、来てください)」と言って、互いに挨拶ことばとして交わしながらイエスの再臨を待ち望みました。これはあらゆる罪や悪、神に敵対するすべてのものが最終的に打ち負かされる日を待ち望むべきであるという意味です。この願いを持っていることによって、クリスチャンは初めて確かな歩ができます。どこに向かうかという最終的なゴール(目標)が定まっているからです。しかし、もしこの願いを持っていなかったり、曖昧であったら、そのあと、「日ごとの糧をお与えください」と祈るわけですが、欲望に任せ切りの当てのない虚しい生活を送ることになってしまいます。クリスチャンは自分の個人的な必要を願う前に御国が来るように願うべきなのです。そうすれば、第一番目の御名があがめられますようにという祈りは益々かなえられます。「主の祈り」をしっかりと学び、すぐ実践に移し祈りの生活を変えましょう。