2016年1月31日 ルカの福音書-いや、幸いなのは-

しかし、イエスは言われた。「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」
ルカ11:28


講解説教No.62
ルカ11章27-28節

 イエスの奇蹟、教えの偉大さに感動した一人の女性が「こんな素晴らしい人(イエス)を産んで育てた母はどんなに誇り高くて幸せでしょう」と声を張り上げました。それに対してイエスは「本当に幸いなのは神のことばを聞いてそれを守る人たちです」とお答えになりました。「守る」とは、「しっかり保管する、見守る」という意味で、イエス誕生のとき羊の番をしていた羊飼いの出来事に使われたことばです。「野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた」(ルカ2:8)獣が襲って来ないように、或いは盗人が盗んでいかないように夜を徹して見守ったということです。そうすると、神のことばを聞いてそれを守るというのは、単に教えに感動を覚えるだけではなく、しっかりとみことばを受け止めること、たとえそれが自分の望んでいない事柄でも受け止めるのです。またみことばを大切にする人は、ただ大事にしまっておくことはしません。主の命令に従いたくてそれを行っていくのです。私たちのうちから悪霊を追い出していただき、イエスを自分のうちに迎えた人は、空き部屋状態にしてはいけません。主の教えに感化されているだけでは、イエスの一時滞在に過ぎず、すぐ空き部屋になるでしょう。それは罪の扉を開けてしまっている状態で、いつでも罪を犯す準備ができているようなものです。「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」(1:38)としたマリヤは、イエスの母ゆえに幸いなのではなく、みことばを聞き、従ったから幸いなのです。彼女がみことばを受け入れることは本人にしてみれば不本意なことですが、その上でしっかりとみことばを受入れ、大切にしました。実に忍耐を働かせることになります。「…みことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて…」(ルカ8:5)これこそが幸いな人です。