2016年1月3日 新年礼拝 主の弟子を教え導け

また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい…。
マタイ28:20前半


マタイの福音書28章16-20節

2016年の教会ヴィジョンは「キリストの弟子を教え導く」です。マタイ28章19、20節の宣教大命令全体を確認しながら考えて行きます。イエスが命じておられるのは弟子をつくることです。そのために「行きなさい」と命じておられます。イエスが福音のために天の大座からこの世に出て行かれたように、また地上での宣教においても各地に出て行かれたように、私たちも福音を伝えるために出て行きます。教会で人々が来るのを待っているのではありません。次に弟子となった人にバプテスマを授けます。父・子・聖霊の御名によって授けることは、三位一体の神の権威が授けられたことを意味します。キリストが弟子としてあなたを公に任命するとの宣言です。次に、弟子となった者に、弟子として導くことが「教える」です。イエスが命じられたすべてのこと、すなわち権威を持って命じられたこと、教え、たとえ、預言などいっさいのことです。パウロ書簡などもすべてイエスの教えに基づいて手紙が書かれています。これらをただ教えるのではなく、守ることができるように教えます。弟子であるということは、本質的には主人であるイエスのようになることです。この地上で、みことばによって生きる、すなわちみことばを守る弟子が増やされることで神の国の支配が拡大して行きます。さて、この命令は誰に命令されたでしょうか?王であられるイエスが拒まれてから、イエスが再び来られるまでの間に救われたすべてのクリスチャンに命じられています。私たちが主の命令を守るように教えられたなら、今度は私たちが他の人に主の命令を守ることができるように教えなければいけません。私たちは主の教えを守るように教えられて来たでしょうか?もしそうでないなら、ただちに主の教えを受けましょう。この命令を果すためには特別な恵みが必要とされます。「あなたがたとともにいます。」との特別な恵みがあった初めて可能です。この恵みがなければ誰もできません。逆にこの恵みがともにあるなら、どの弟子にも出来ます。