2016年2月14日 ルカの福音書 -霊的盲目。信じるとは?-

さて、群衆の数がふえてくると、イエスは話し始められた。「この時代は悪い時代です。
しるしを求めているが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。
ルカ11:29


講解説教No.63
ルカ11章29-32節

 イエスは悪霊を追い出しましたが、イエスが本当の意味でどういう方なのかわからず、まだ疑っている人たちがいました。そういう人たちはイエスが神の御子であることの天からのしるしを求めました。イエスは彼らに「悪い時代です(この時代の人たちはよこしまだ)」と言って警告されました。彼らは本来まっすぐに向かうべきものに心が向かわない、目指すべきものから心が逸れて行ってしまう人たちです。またイエスは彼らに「しるしはヨナのしるししか与えられていない」と言われました。預言者ヨナはニネベの町に遣わされ、神から託された「悔い改めなければ町を滅ぼす」とのことばによって、民に悔い改めを迫った人です。ヨナに託されたことばを信じるかどうかで救いが決まったのです。これをイエスは「しるし」と言われたのです。人々が言っているしるしは、「これこれのことをしてくれたら神を信じる」という人間の判断基準でした。イエスの場合は神のさばきの基準がしるしでした。イエスご自身がそのしるしです。このお方に私たちの側でどのような態度を取るのかということが問われなければなりません。ソロモンが語った神の知恵を信じて、地の果てから南の女王がやってきました。彼女は一つの奇蹟を見ることも求めることもしていません。彼女はヨナのことばを信じて悔い改めた人々ともに、しるしを求めた人々をさばくとイエスは言われました。今イエスの前にいる人たちは、神の御子としての奇蹟を見る特権に預かりながらもイエスを拒みました。ヨナよりもはるかにまさったイエスご自身が目の前におられるのに。私たちが困難に直面したとき神の助けを期待します。しかし望んでいた通りに事が進まないと、神がおられるならなぜこんな目に?と疑います。また信仰を持って生活することに意味を見出せるのかとあせります。しかしこれはイエスがどういう方なのかをこちらが判断する考えです。死人をよみがえらせ、自然法則を超越され、罪を赦す権威をお持ちなのは、イエスが神の御子であられることを一方的に人間に示されている事実であって、人間がとやかく判断できるものではないのです。それは信ずべき事柄なのです。