2016年4月24日 ルカの福音書 ー待ち望むべき将来ー

あなたがたも用心していなさい。人の子は、思いがけない時に来るのですから。
ルカ12:40



講解説教No.72
ルカ12章35-48節

 イエスはこのたとえで弟子たちのあり方、生き方を教えておられます。たとえの設定は、しもべが主人の帰って来るのを待っているというものです。使徒1:9-11にもあるのですが、イエスが人としてお生まれになり、地上生涯で神の国を教え、人々を罪から救うために十字架で死なれ、三日目に復活され、昇天されるというのが、救いのために来られた初臨です。そして、もう一度天からおいでになるときは、すべての者を裁く審判者として来られます。それを再臨と言います。イエスが世界をお裁きになられると、それまで保たれていた世界が終わります。神の国が完成するのです。イエスの再臨を待ち望むことは教会の中心的な信仰の一つです。このたとえでイエスの再臨を待つ信仰を教えているのです。イエスの再臨を待つ上でのポイントは『それがいつなのかわからない』です(マタイ24:26)。いつ来るのかわからないことで一番大切なことは、いつでも大丈夫なように緊張感と期待感を抱きながら、準備をしておくことです(35-38)。イエスをしっかりと待っているしもべにはイエスからの報いがあります(37)。また「全財産を任せるようになる」とたとえであるように、イエスが再臨されたときには、その人に大きな責任と喜びを与えてくださいます。45節以下には再臨の期待と緊張感を失ってしまうしもべの姿が書かれています。しもべの姿を忘れ、自分の願いや思いを遂げることが一番になり周囲を傷つけます。原因は「主人の帰りはまだだ」と心に思うことです。神の国を完成しようとする神の心を知りながら、再臨の準備をせず、弟子として働かなかったら、神の心を知らなかった人よりも厳しい裁きを受けるのです。自分のことばかり考える生活から抜け出して、主が再び来られることについて改めて準備をしておこうではありませんか。