2016年5月29日 ヨハネの福音書 ーキリストの愛を知ってー

彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
ヨハネ21:15


ヨハネの福音書 21章15-17節

(5月22日午後礼拝より「生活の奉仕の手本」)
「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。」(ピリピ4:11)より多くの物質を求め、消費することが幸いであるかのような世の中で御国の民としていかに生活するかが問われています。パウロは「学びました」と言っているので、それまでは物質、消費社会の中に埋もれて生活していたということです。私たちも学ばなければなりません。第一に、いっさいのものが神のものだと学びます。「また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ4:19a)いっさいの物が神のものですから、そこから自分に与えられるものを持たせて頂いているということになります。自分のものなどありません。第二に、その神の所有のもので、自分に必要なすべてのものが満たされることを学びます。この場合、神が「それがみなあなたがたに必要であることを知っておられる」(マタイ6:32)という信頼することも含めて学ぶ必要があります。第三に、神が私の必要を満たすと約束されているのならば、自分は神の用意してくださるもので満足できることを学びます。与えられた物で満足するのはその人の責任です(それ以上は貪欲の罪に陥ります)。学んだ結果パウロは、人の金銀や衣服をむさぼる必要もなく(使徒20:33)、彼の仕事さえも自分の利益のためではなく与えるためのものとなりました(使徒20:34)。それはすべて、パウロの師であるお方の教えに従ってのことです。「受けるよりも与えるほうが幸いである」とのイエスの教えです(使徒20:35)。