2016年7月3日 ルカの福音書 -神からの招待状-

主人は言った。『街道や垣根のところに出かけて行って、この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れて来なさい。言っておくが、あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は、ひとりもいないのです。』
ルカ14:23,24


講解説教No.79
ルカ14章15-24節

14章全体のテーマは「誰が天国へ入ることができるのか?或いは入ることができないのか?」神からの招待状をどう扱うかということです。食卓に着いていた一人が「神の国で食事をする人は、何と幸いなことでしょう」と言いました。実はこれ、自分たちのことを「幸せ者!」と言っているのであって、食卓に着いていたラビたちのほとんどがそう信じて疑いませんでした。これに対してイエスはたとえ話を展開されました。その内容からすると、そこにいる多くの幸せ者たち!?のほとんどが神の食卓に着かない、すなわち天国に入れないというものでした。神の招待状は心のこもった丁寧なものです。前もってご招待をお伝えし、当日出向いて行ってもう一度招くというものです。この招きを断ったのがユダヤの霊的指導者たちです。最初のバプテスマのヨハネを通しての神の招きも断りました。畑、牛、結婚生活・・・神の招待のほうがはるかに重要で、前もって招かれたものですから、断る理由にならない実に失礼な言い訳です。怒った主人は町の大通りや路地(小道)に行って一般庶民を招きなさいと指示しました。まだ空席があるので今度は、街道や垣根のところに「出かけて行って」無理にでも招いて来なさいと…私たち異邦人のことです。神の国へ招く、神の愛と熱心さが伝わってきます。このたとえは、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるというモチーフと密接に関係しています。イエスは神の国に入るための霊的原則を示されたのです(イザヤ2:12、エゼキエル17:24)。神の招きを拒否する理由は高ぶりと自己充足です。この人は自分に自信をもち、自分に夢中です。一方神の国に入る人は、自分を神の支配に明け渡して、完全に神により頼む人です。神の助け無しにはいられないどうしようもない罪人が入るのです。このような人を聖書は謙遜な人と見なし、神からの招待状を素直に受けるのです。