2017年5月14日 ルカの福音書 -罪人のひとりに数えられて-

あなたがたに言いますが、『彼は罪人たちの中に数えられた』と書いてあることが、わたしに必ず実現するのです。わたしにかかわることは実現します。
ルカ22:37


講解説教No.115
ルカ22章35~38節

以前弟子たちを伝道に派遣したときイエスは、「何も持って行かないようにしなさい」(9:2)、「財布も旅行袋も持たず、くつも履かずに行きなさい」(10:4)と命じました。その時のことを思い出させるように「何か足りない物がありましたか」と尋ねられました。今回はその時と状況が違うのか、逆にそれらを持って、剣を買いなさいと命じました。派遣するのに色々持っていくということではなく、財布や袋を持っている人はその中にあるお金で剣を買い、所持金がない人は服を売ってでも剣を買いなさいと、つまりもっぱら剣を用意せよと言っているのです。武力指示でしょうか?いいえ、このあとのイエスの逮捕時には剣を強く否定しておられます(マタイ26:51,52)。このイエスの命令を正しく理解するために、前のペテロがイエスを否認すると予告された出来事との関連で見て行きます。そこでは自分の信念、覚悟を信仰と誤解し、結局徹底的にイエスを否定しました。そうではなく、イエスのとりなしの祈りとその祈りに答えてくださる父なる神の恵みによってこそ養われる、そのイエスを頼ることが信仰だと学びました。その流れで今回、「何か足りない物があったか…剣を買いなさい」と来るわけです。「何も持たずに」とは自分の持っているものや経験、力に依り頼まずにということです。ただイエスのことばを信頼して出来たわけです。その経験を思い出させ、今後の信仰の歩みも自分の決意や努力によって保たれるのではない、ただ神の恵みによって進んで行くということを教えられたのです。イエスを頼ることをしないとき、どうしたって剣を必要としてしまいます。その行き着く先を示す意味で「剣を買いなさい」と言われたのです。そのような信仰の定まらない中でイエスは最後のことばをかけます。「罪人たちの中に数えられた」(37)罪のないイエスが罪人に数えられ、イエスへの苦しみ、懲らしめの犠牲によって私たちの救いが実現します。そしてこの方をただ信じるだけで罪が赦され救われるのです。イエスを頼るとはこのことであって、自らの何かによって救いを実現するのではありません。それは剣を振り回すようなものです。イエスのお話を聞いた弟子が「(実際の)剣が二振りある」と答えたことは、話の真意を全くわかっていないということです。その愚かで無力な者のためにこそ、十字架による救いを成し遂げてくださったのです。ただこのイエスを頼りましょう。