2017年7月30日 ルカの福音書 -御国への道-

イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
ルカ23:43


講解説教No.124
ルカ23章39~43節

 両脇の犯罪人の言動から「御国への道」について考えます。一方の犯罪人は「キリストなら自分と私たちとを救え」とののしりました。救いを期待してのことではなく八つ当たりでしょう。このような思いは私たちも抱きます。苦しい現実の中でなぜ助けてくれないのか?と。もう一方の犯罪人は処刑を自分の罪の当然の報いとして受け止めています。しかも彼は犯罪に対する刑罰としてではなく、神の刑罰としてです。もし中央の処刑人が神の子であるとするなら、その方が自分と同じ刑罰を受けていることに衝撃を受けるでしょう。もしそうであれば「この方は悪いことは何もしなかった」との発言もつじつまが合います。では彼はイエスを神として恐れるべき方ということを、いつ、どこで、どのように知ったのでしょう?マタイ27:44によるなら、十字架に張り付けられた直後、彼もイエスをののしっていたことがわかります。ならば、イエスがだれであるかということを処刑前の人生の中で知ったのではなく、処刑の最中に知ったことになります。そうであれば、「父よ。彼らをお赦しください…」(34)とのイエスの祈りを聞いたことで彼の中で変化が起こったと考えられます。十字架上で祈るイエスに、彼は何の罪もない方、神を父と呼ぶことができ、自分のことなど何一つ言わず、ただ父に人々の赦しを乞うことのできる方に神を見たのです。また彼はイエスが御国を完成させた暁には「私を思い出してください」と願いました。信仰を告白した彼にイエスは「わたしとともに」と御国を約束されました。私たちはどちらの犯罪人にもなり得ます。罪を認めず神のせいにするか、罪を認めて受け入れるか。もう一つ承知しておくべきは、一方が選ばれているということです。ただ彼の中に或いは私たちの中に選ばれる理由はないということです。ただ主のあわれみによるのです。