2017年10月8日 神を信じる ー仁戸名聖書バプテスト教会 小林太秀先生ー

主は彼に仰せられた。「だれが人に口をつけたのか。だれが口をきけなくし、耳を聞こえなくし、あるいは、目を開いたり、盲目にしたりするのか。それはこのわたし、主ではないか。
出エジプト4:11


出エジプト記4章10~12節

[10月4日(水)祈り会説教から Ⅱ列王記15:27-38「主からしるしを求めよ」 ]

15章は北イスラエル国の王様が次々と変わっていくことが記録されています。それは衰退した国の末期症状であり、生けるまことの神を頼らなくなったことの危篤状態です。霊的に衰退していくとともに、隣国のアッシリヤ帝国が年ごとに強くなり、その脅威に悩まされました。あまりの強さに北イスラエルは異教国アラムと同盟国となってアッシリヤに抵抗します。しかしイスラエルの一部が占領されてしまいました。この二国は南ユダ国を同盟国に加えようとします。ユダ国がそれを拒否したため、二国は攻撃を加えて強引にも三国同盟を試みました。このあたりのことがイザヤ7章にも記されています。神は追い込まれたユダ国(アハズ王)を励まされました。「気をつけて、静かにしていなさい…」(4)神が二国を倒すから恐れず静かにしていよと。さらに神はユダ国のアハズ王に「あなたの神、主から、しるしを求めよ」(11)と、アハズ王の心を突いた問いかけをされました。これは『強国アッシリヤのような人間的な力に頼るか、それとも高い天地に住む神に信頼するか』決断を迫るものでした。ユダ国のアハズ王が同盟国に加わることを拒否した本当の理由は、アッシリヤという敵国に助けを求めるという「長い物には巻かれろ」的な発想をすでに心に決断していたしていたからです(Ⅱ列王16:7)。人の心を見抜く神は、助けを求める信仰者を励ますと同時に、人を頼るか神を頼るかも問うてきます。神に祈り頼るように見せながらも、自分の中で人間的な事柄に頼ることをすでに決めている不信仰を立て直すためです。神は励まし以上に、どちらを頼るか?というきわどいところに追い込むことを望んでおられます。信仰の立て直しのない励ましは無意味です。