2018年1月7日 新年礼拝 -互いに熱心に愛し合いなさい-

イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。         
ヨハネ14:23


ヨハネの福音書14章21-24節

 ペテロの手紙第一の中で、「霊の家に築き上げられること」(2:5)、「互いに愛し合うこと」(1:22,3:8,4:8)にペテロがこだわっているのはどこから来るのでしょう?福音書を探りその理由がわかって来ました。イエスは「わたしの戒めを…守る人…わたしを愛する人…にわたし自身を現します」(ヨハネ14:21)と言われました。それに対して「…世には現そうとなさらないのは、どういうわけですか。」(14:22)と尋ねる弟子が。イエスの回答は「(わたしを愛し、わたしのことばを守る人)の所に来て、その人ともに住みます」(14:23)でした。世には直接神との愛のかかわりを現わすことができないということを暗に答えています。英訳は「わたしたち(御父と御子)は、イエスを愛し、互いに愛し合うという戒めを守る人の所に来て、その人と家を共にする」(14:23)家を共にするその住家とは教会のことです。神は互いに愛し合う教会を住家とされ、イエスを現わしてくださいます。だからペテロは霊の家に築き上げられ、そこで互いに愛し合うことにこだわったのです。もし教会が戒めを守らなかったらイエスを現わす光は弱いのです。私たちは単に戒めだから守るのではありません。信仰者としてふさわしいからでもありません。神の深いお考えがあるから守るのです。実に守りがいがあるではありませんか。もう一点、互いに愛し合うためにイエスにとどまることをしましょう。これは必須です。ヨハネ15:1-10の間に10回も繰り返し話されています。これは「滞在する、宿泊する」との意味もあります。復活後のイエスに出会ったエマオの途上の二人の弟子は家にイエスをお泊め(とどまる)しました。そうしたら彼らの心が開かれ、イエスがよくわかり、心が熱く燃えました。わずか一日だけでもそれだけの影響を受けたとすれば、継続してイエスに留まり続けるなら、どんなことが起こるか想像が及びません。