2018年3月11日 ペテロの手紙第一 -「尊敬しなさい 夫のふるまい」-

同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。
Ⅰペテロ3:7


講解説教No.16
Ⅰペテロ3章7節

ローマ社会では、しもべ(奴隷)が一切の仕事を担いローマ人は仕事をしない、或いは家庭において夫だけが権利を持ち妻はそれに従うほかないという、すべての責任と義務を一方に押し付けるものでした。しかし聖書は相互的な倫理です。雇い主に従うことがしもべに勧められ、同時に雇い主もしもべに対して同じようにふるまうことが求められています(エペソ6:9)。子どもたちには両親に従うことが勧められ、親には「子どもを怒らせてはならないこと、主の教育と訓戒によって育てることが求められています(エペソ6:1—4)。互いに責任と義務があり、互いに特権があるのです。責任なくしては特権はありません。同様に夫に従うことが勧められる妻に対して、夫の責任は妻を尊敬することです。夫は妻が自分よりも弱い器であることをわきまえて妻とともに生活することが勧められています。これは、神が人を男と女とに造られた秩序に基づくものであることを知った上でこの勧めを受け止めなければなりません。神が女を人のあばら骨の一つを取って造られたのは偶然ではありません。人と対等な存在である「女(デリケートな者)」を造られたのです。神は女に男にはない繊細さを備えました。夫と妻はその働きと体力についてはそれぞれの特性と役割があります。これは自分にできないことをやってくれる互いを助け合うための違いです。このことのゆえに夫は妻を守るためにともに生活することが勧められ、創造における役割のゆえに尊敬することが求められているのです。もし夫がこの責務を果たさないと、祈りに障害がで、神との間に障害が出ます。夫と妻の関係が間違っていれば神との関係も決して正しいものではあり得ないからです。神と私たちが一つとなるのは人間同士が一つとなる時です。
当時のローマ社会、或いは現代社会の男女観に基づくならこの聖書の教えは理解できないでしょう。しかし真理の教えは一つです。その教えはどの時代を経ても古くなりようがありません。